メガネを買った、ハッピーエンド

・メガネの度を下げた
zoffで9月末、つまり増税前にメガネを新調した。のに受け取ったのが今日になったのは、一度度数が合わずに作り直しを依頼したからである。最初の視力検査の際に弱い度数を提示されていたのに、欲張って強い度数を要求したせいである。度数的にはぴったりなので自分を騙して数日間はそのまま装着していたが、どうにも圧迫感があるような気がして再び店舗に足を運ぶ羽目になった。結果、作り直したメガネの快適さに感激している。確かに遠景はぽけているが、画面を見ることの多い現代人は実は0.8の視力があれば十分とのこと。最初から素直に店員さんの言うことを聞いておけば良かったのに、自己主張を通してしまうのが私のよくないところ。しかし、使い続けられなくもないな…慣れるまで使おう、としていたらおそらく更に視力が下がっていたので、間違いに気づいてやり直せたのは私のいいところ。あとこうして失敗を前向きに捉えられるのもいいところ。
ぴったりのはずなのに合わない。少し見えない方が負担が少なくてちょうどいい。環境に慣れようとする以外にも、多少手間に感じても環境を変えた方が手っ取り早くて適切な対応の場合もある。

・ 誰にとっての「ハッピーエンド」なのか?
最近バナナフィッシュを読み終えた友人に、「ハッピーだって言うから安心して読んでいた。ショックが大きすぎる」と怒られた。それは・・ごめん・・・
確かに「ハラハラして不安…これってちゃんとハッピーエンドになる?」との質問に対して「う〜ん、私はハッピーエンドだよ思うよ」と返しました。思い返してみると、あの質問の返答は主語述語が省略されていて、正確には「(私が)ハッピー(になる)エンド」でした。ということにさっきお風呂の中で唐突に思い当たった。我ながら腑に落ちた補足だったのでメモ。