100万人の為に歌われたラブソングなんかに思いを重ねたかった

flumpoolについて、考え続けていて、たったの1時間にも満たないアクトで頭がいっぱいでもうこれは恋ではないか?とも思うけれど、これが恋だとしたらあまりにも歪みすぎていてこんな筈ではなかったよね?という話が以下3000文字です。そして答えは出ない。

 

去る7月末、Amuse Fes 2015 BBQ in つま恋に行ってきた。

www.amusebbq.jp

その時見たflumpoolのアクトがはちゃめちゃに良くて、すぐCDを全部借りに行って聴きまくった。曲としては「サイレン」「labo」みたいな系統の曲が好きで、やっぱりベストじゃなくてオリジナルアルバムをさらってよかったなあと思った。

しかし私がフェスの中で打ち震えるほどこの人のことが好きだ、と思ったのはMCで山村くんが見せたギラギラの野望と執着心で、そういう泥を這ったような詞を乗せた曲がなかったことがものすごく惜しいと感じた。

山村くんのMCの話の前に背景を少し話しておこう。つま恋BBQは今年で3回目なのだが、福山・ワンオク・FLOWといった事務所の大物が参加したのは第一回目のみ。2回目の去年は豪雨に見舞われ、3回目の今年はアーティスト同士の「コラボ」をウリにしていたが、昨年と代わり映えのしない出演陣にマンネリ感が否めない。というわけでイマイチ何を押してでも参加したいと思わせるところのないフェスとなってしまっている、というのが私の参加前の正直な感想だった。そして多分こんなことは、出ている側が一番分かっているのだろう。フェスのチケットは当日まで券が売れ残っていた。

そんな背景をうっすら参加者全体が分かっているだろう会場で、ほんっとうに楽しそうな声で「楽しいですねえ、楽しいですよねえ」と目尻を思いっきりさげて笑う山村くんは、「こんなに楽しいフェス、来年も再来年もずっとずっと絶対やりたいですよねぇ」みたいなことを言うのだ。あんまりに幸せそうだからこっちも楽しい気持ちになってしまって心がふにゃっとしたところに更に「1日じゃなくて、2日も、3日だってやりたいですよねみんな!!」と畳み掛ける山村くん。ここでそれまで「楽しいですねー!」「イエーイ!」と返していた時より客席からの「イエーイ」の返答が弱まっていて笑えた。みんな正直だなあ、と笑いながら自分も現状を見たら連日は厳しいだろうという思いから少し小さな声と拳を申し訳程度に挙げた。でも山村くんはその言葉を冗談で言っている訳では全くなかったのだ。「こんなに楽しいフェス他にないんです。他にないんだから、もっともっと大きくしていきたいんです。僕らがやっていて楽しいのは勿論だけど、ぼくらがここに立つには、みんなが来てくれないとだめなんです。だからもっともっと楽しんでください。」もう1か月近く前のことなので言葉は全く違うだろうが、言っていたことは確かこんな感じだったと思う。

例えるなら生徒会総選挙の候補者。全校生徒の集まった体育館の壇上で、突然好きな女の子に告白してしまうような自己中心的な計画性。全て邪推に過ぎないが、前述した状況を鑑みるとこのフェス今年限りで…という話があったとしても不思議ではない。そこへ叩きつけるように「来年もステージに俺たちを立たせる為に、もっと楽しんでいる姿を(上へ)見せてみろ」とギラッギラの目で煽る山村くん。私の清き一票はこの演説でまんまと投じられた。こんなに貪欲なボーカルを有するグループが、爽やかなだけだなんて嘘だ。その後の最終曲「イイじゃない?」で山村くんは客席フェンスへとステージを降りる。ファンにべたべた触らせる。でも、マイクはしっかり握ったまま離さず、視線も正面のカメラから全く外さない。ファンとの距離がゼロだって心はステージの上なんだろう思わせるそのビジネスライクな「サービスお触り」に、その近づけなさに、会場で思わずタオルを握りしめてしまった。その時画面に映った、たくさんのファンを背景に好き放題触られもみくちゃになりながら、むしろ伸びて来る手を煽るようにセクシーナンバーを唄う山村くんの姿は、正にスター。届かないところに輝くものとして最高に理想的だった。ところで、プリウスの駆動音が静かすぎて、わざとエンジン音を付与しているみたいな話を聞いたことがあるけれど、山村くんが途中で歌詞間違えてウィンクして舌ペロッてするのあれ同じ原理じゃない?画竜点睛を欠く的な*1あれでしょ?ずるい

長々書いたけど端的にいうとあっはっは性格悪っそう~!(褒めてる)っていう感じ。頭が切れて度胸もあって顔も良くて、多分音楽がなくても人生上手くやっていけそうな人。そういう人が敢えて不安定で生き辛い世界に執着して剥き出しでやっていこうとすることが分からない。なぜ?もっと楽な生き方なんて手を伸ばせる範囲に降るようにあったろうに、なぜ?そこにはめちゃくちゃ強い意志があるに違いないのだ。と、何の思い入れもないやつに物語を思うことを許してくれる説得力があった。そんな素晴らしいパフォーマンスだったのだ。

なのに、こんなに熱のある言葉を紡ぐ人が、なぜ歌詞となるとこうも上辺だけのような綺麗事ばかり並べ立てるのか不思議でならなかった。


flumpool 「星に願いを」MUSIC VIDEO - YouTube

わかったんだ、幸せってさ二つで一つ、一つずつじゃない すべてを分けあえる二人だけに許された願い

どんなに噛んでも薄めても、ちっとも共感できない。どうしたらいいんだ。
に「許された」は許せない。自分の幸せを測るのに他人を巻き込む傲慢さが憎い。許すも許さないもそんなこと関係ないでしょう。勝手に幸せになったらいい。いつの間にか頼みもしないレースに出場させられて劣等賞のシールを貼られた気分だ。
しかしこの曲の良いところもまた間違いなくこの歌詞のワンマンっぷりにあるのが心底悔しい。ここから千文字分くらい文句を書き連ねたのだけれど、あまりに不毛なので割愛。
大体flumpoolが世間にあるイメージ通りの謙虚で爽やかなだけのグループだったら、自分たちの作った曲に恐れ多くも「星に願いを」だなんてタイトルは怖くて付けられないはずだろう。傲慢で貪欲な押し付けがましい俺たちが、だって好きでしょう?という匂い立つような自信に、全身がむせかえりそうになる。そのまぶしい輝きは、生まれつきのしなやかさではなく、そうあろうと腹を括った者が放つ覚悟の強さだ。歌詞の話に戻るが、だからまぁ多分彼らからしたら、独善的だなどという反論はちっとも意に介するところではないと思う。なぜならそれは聞き手であるこちらのの強さが足りないからで、下りてきてもらうんじゃなくてこっちがそこまで上っていかなきゃいけないからだ。
あー!だからその上って来いっていうゴールの設定されてる場所が納得いかないんだってば!!!スタートは同じところからなのになぜそちらへ行ってしまうのか。どの歌詞を聞いても、シミュレーションゲームで自分が絶対選ばない選択肢を選び続けた果てのエンディングを隣で見る気持ち、とでも言うのだろうか。そういう進め方する人本当にいるんだ…みたいな。
文句言うなら聴かなきゃ良いのに、文句言いながら超聴いている。ほら、好きなんでしょう?と自分で自分の背中を蹴っ飛ばそうにも、なんだろうこの素直に好きということで何かに屈したことになるような、何と戦っているんだ私は、
願わくばflumpoolが、つま恋MCで見せたような剥き出しの思いを歌詞に露わにしてくれる曲を出してくれますように。

*1:本義の意味での