「時計じかけのオレンジ」が全然だめだった話とマジョリティについて

時計じかけのオレンジ」/1971/米/スタンリー・キューブリック

時計じかけのオレンジ [DVD]

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 すこぶるダメだった。

正しくバイオレンス映画、というのだろうか。もうとにかく前半の意図的な不快描写がただ気持ち悪いと感じてしまった。後半からのラストの落とし方がミソとレビューを見たのでグッと堪えて最後まで見たが、もう全然ダメだった。映画が良いとか悪いとかではなく、圧倒的に自分の感覚と合わない。「アメリ」があんまりピンと来なかった時の感覚に似ている気がする。

良いものとされているものを受け入れられない時、とにかくめちゃくちゃ「何故!!?」と考える。これは、自分がことエンタメ分野においてはベタ好きというか、マジョリティ側に属している自覚があるからだ。アイドルだって好きになる子はほとんど一番人気のセンターだし、部屋の本棚に並んでいるのは映像化がされているようなベストセラーが多い。

いつだったか忘れたか、かなり昔の「このマンガを読め!」を読んだ時に載っていたインタビューで「結局、売れているマンガはおもしろい。売れていないマンガにも面白いものは勿論あるんですよ。でも、面白いものが読みたいと思ったらベストセラーを読めば間違いないのは確か。」と言った旨が語られていて、すごく印象に残っている。「自分だけが知っている面白いマンガがあると思っていたい気持ちもわかるけど、ひねくれずに売れているマンガを読むと、やっぱりパワーがある、驚くほど面白いんですよね」みたいなことも言っていたような。この言葉が当時ものすごく目からウロコで、いや当たり前っちゃ当たり前のことしか言ってないのだけど

確かこの時引き合いに出されてたのは「スラムダンク」で、何故かずっと読んでこないまま斜に構えていたがいざ読んでみたら仰天物に素晴らしかったそうか1億部売れるってこういうことなんだ…みたいな話だったと思うんだけど、全てが曖昧で何回も反芻しているからかなり自家創作されている気が…

さておき

とにかく多様な趣味趣向を包容するメディアコンテンツであるマンガや映画といった中で、圧倒的多数に支持されるものを支持する中に自分が含まれないとなると俄然焦りが生まれてくるのだ。みんなと一緒じゃなきゃ不安というわけではないが、楽しいパーティーを指を加えて見ているばかりでは寂しいではないか。できることなら全部理解したいがなかなか持ち合わせた感覚とはそうもいかないものだというのを感じることが最近多い。最たる例が一昨年より一世を風靡し果ては主題歌歌手の紅白出演まで成し遂げた破竹の勢い「進撃の巨人」である。これがまた、ぐっと来なかったんだなあ…

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見てくれこのポップ&キャッチーさ…すごい…4200万部コンテンツのパワーを持ってすれば世界観など些細な問題に過ぎません。兵長かっこいいでしょ!!という強力なメッセージが伝わってきます。かっこいいね。

進撃の巨人」の凄いところは、マジで身の回りのマンガ好きを公言している人で読んでない人がいないところ。マジで。すごい読むよ~な人は勿論、普段ジャンルが被らない人も、おうちの本棚はカラーボックス1個だけだよ~な友人までみんな少なからず齧っている。pixivでイケメン二次創作するオタク層にも人気があって、かたや朝のめざましテレビでキラキラのかわいいアナウンサーが「心臓を捧げよ!」とかやってる。もう何が何だかって感じである。それがピンと来なかった私の完成ってもしかしなくてもアンテナが時代のチューニングに追いつけなくなってきなのでは…と慄いてしまう。マジョリティに属すことの安心感に慣れきっているが故に反旗を翻し堂々としていられない小心者である。なのでもう、ものすごく考えましたね。何故ピンと来なかったのかを。分からなかったけどね。

進撃の巨人叙述トリックの効いたミステリを読み終わったような感覚だなあと思った。だから商業的な売られ方と自分の押したいポイントがズレてて上手くハマらなかったのかなあ。なんでこんな皆楽しんでるのに自分に上手く嵌めこむことができないのかもう本当に歯がゆいっていうか悔しいんだ。そう、悔しいだ。この感覚。分からないは知ればいいんだけど、分かっても理解らないのはもう絶望的に手の施しようがない。ギャグマンガに対する一番の貶し言葉は「つまらなかった」ではなく「どこが面白いのか説明して」に違いない。 断絶の淵からかけられる言葉に共感への糸口を見つけるのはひどく困難であるように思う。難儀で不毛だからこんな論議はしないのがお互いの為だ。

時計じかけのオレンジ」を見た時に感じた感覚は、進撃のそれとはまた全く別なのだが、世間で良いとされているものが自分にはダメという点においては同様のショックを与えられたのであった。